東京大学理科2類
吉原 聖人 さん(聖光学院高等学校卒業)
「自分の望むままに歩ませてくれる環境」
自分にできることないかな
ヴェリタスには中一の頃から通ってました。最初のころは進度が速くて追いつくだけで精一杯だったり。時には問題を解くのに「いや、それ余分じゃね」みたいな話があったり「俺はそういうのじゃなくて公式が欲しいんだけど」って思うこともたまにあったりして。でも辞めるのはいつでもできるからとりあえず続けてみようという気持ちで6年間通いました。特に受験科の数学は問題の難易度が高くて、毎回普通に解けないんですけど、その中で自分の解けそうな問題を見分ける視力が培えたかなって思います。実際の入試でも全部難しくて一見解けないなって思うんですけど、自分にできることないかなって考えて「どれか1個でも完全制覇しよう」とか、多少解けない問題があっても「なんか少しでも爪痕残そう」みたいにモチベーションが行ったんで、そういうのが良かったのかなと。こういう勉強って主体性のあるイケイケの受験生だったら1人でできるとは思うんですけど、僕はそういうタイプではないんで、ヴェリタスだったからできた気がします。
大学の授業を受けてると、ヴェリタスの授業を思い出す
いわゆる勉強っていうと、先生が前に立って教科書を教えてみたいな感じが多いかなって思うんですけど、ヴェリの授業では「他に考え方ないかな」って考えるきっかけがもらえて。「先生はこう解決してたけど、なんか気に食わねえな」とか「もうちょっとなんか簡単に解ける方あるだろ」みたいな気持ちが湧いてきて「ちょっと自分でも解いてみよう」っていう気になるんです。英語なんか、先生と意見がぶつかって最終的には「著者呼びたいな」みたいなところまで議論に付き合ってくれて。授業も規定時間からオーバーするわ、朝早くて起きられないわと当時は色々不満もあったんですけど。大学の授業を受けてると、時々ヴェリタスの授業を思い出すんです。あぁ、T先生と散々やり合ったなとか。あと、休憩時間の先生の雑談。授業っていうよりは、なんかそういうのがあることによって受験の苦しみが和らげられるみたいなところもありました。
自分の望むままに歩ませてくれる環境
学校だと、自分に考えさせてくれたり、とことん議論や質問に付き合ってくれる先生に当たるとは限らないけど、ヴェリタスだとそんな感じの先生ばかりで。来ると視点が増えるっていうか、結構学べるところは多かったですね。受験を終えて改めて思うのは、自分の答えは自分の中にしかないってこと。塾も学校も予備校も自分が入る為の器でしかなく、結局道を選ぶのは自分。誰を信じて、どんな勉強をして、どんな大学に行くのか。ヴェリタスには自分の望むままに歩ませてくれる環境があります。