東大文・理科合格のための国語対策クラス

京大などの国立大や、国公立医学部、共通テスト対策も個別に対応

開講日

2024年1月6日(土)
以後毎週土曜日 14:30~16:30

問題演習については、全て受講者の志望に沿って個別に対応し、全員が同じ問題を解くことはありません。共通テストのみの方は年間を通して共通テスト形式の評論・小説・古文・漢文を繰り返し演習します。
国立二次試験に国語が課される大学(東大・京大・一橋大・お茶の水女子大・千葉大など)を志望される方は、共通テストとそれぞれの大学の二次試験を組み合わせた演習形式となります。一橋大では、一般的な古文漢文の代わりにに明治文語文を扱い、早稲田などの私大文系志望者も同様ですから、必要のない問題を一律に解かされることはありません。
現代文・古文・漢文の比重についてもクラスで一律ではなく、各自の達成度に応じて比重を変えます。例えば、現代文に比べて古典の得点率が極端に低い場合は、ある程度のレベルに向上するまでは古典の演習が続き、評論よりも小説が不得手という人にも同様の対応をします。
国語の記述問題は最も独習し難い分野ですので、国立二次の記述式問題は毎回添削を施し、点数化して返却します。『解答は一つではないことがいっぱいある。我々が知りたいのは、解答を導くまでのプロセスであり、そのプロセスが3つ、4つあっても良い』という東大理事・副学長のコメントにもある通り、記述式問題に対しては、客観的で複合的な視点からの評価と添削が是非とも必要です。

東大文・理科合格のための国語対策クラス

京大などの国立大や、国公立医学部お共通テスト対策も個別に対応

開講日

2024年1月6日(土)
以後毎週土曜日 14:30~16:30

問題演習については、全て受講者の志望に沿って個別に対応し、全員が同じ問題を解くことはありません。共通テストのみの方は年間を通して共通テスト形式の評論・小説・古文・漢文を繰り返し演習します。
国立二次試験に国語が課される大学(東大・京大・一橋大・お茶の水女子大・千葉大など)を志望される方は、共通テストとそれぞれの大学の二次試験を組み合わせた演習形式となります。一橋大では、一般的な古文漢文の代わりにに明治文語文を扱い、早稲田などの私大文系志望者も同様ですから、必要のない問題を一律に解かされることはありません。
現代文・古文・漢文の比重についてもクラスで一律ではなく、各自の達成度に応じて比重を変えます。例えば、現代文に比べて古典の得点率が極端に低い場合は、ある程度のレベルに向上するまでは古典の演習が続き、評論よりも小説が不得手という人にも同様の対応をします。
国語の記述問題は最も独習し難い分野ですので、国立二次の記述式問題は毎回添削を施し、点数化して返却します。『解答は一つではないことがいっぱいある。我々が知りたいのは、解答を導くまでのプロセスであり、そのプロセスが3つ、4つあっても良い』という東大理事・副学長のコメントにもある通り、記述式問題に対しては、客観的で複合的な視点からの評価と添削が是非とも必要です。

あらゆる知的行為をつかさどる、言語的感性と素養を錬成

全ての科目のベースラインを底上げする役割を担う

何となくわかるけど成績が伸びない

誰もが現代文に抱く感想です。大抵の人は「何となくわかる」ので危機感を抱かず、そして、「どうせ次は全く別の文章が出る」からと、わからない原因も追及せずに、ほったらかしにしてしまいます。ここに現代文低迷の原因が潜んでいるのです。

現代文における誤答には、みなさんの18年間生きてきた「思いこみ」が集約されているといっても過言ではありません。「何となくわかったつもり」の「思いこみ」です。その程度のあやふやな理解でも、日常生活ではそこまで大きな不自由を来しません。しかし、「わかったつもり」は所詮、「つもり」。「理解した」とは程遠いものであり、今後、大学なり社会なりで行う議論、文章活動では、大きく足をひっぱります。それを防ぐ最後の時が、この大学受験なのです。

使い慣れた日本語ですが、この「思いこみ」を払拭するために、もう一度初心に戻って、文章の伝達のルールを見直し、自分自身の理解の仕方を見直すこと、このことが現代文の勉強に他なりません。

授業では、「文章=作者から読者への伝達」、「解答=出題者とのコミュニケーション」という前提からスタートします。実際の文章の読解を通して、「読むための原理」「解くための原理」という普遍的なルールを学び、自分自身で様々な文章に運用していくことで定着を図ります。同一テーマについて<現代文だけ>もしくは<小論文だけ>とせず、実は<読むこと>と<書くこと>の両輪をバランスよくまわすことがが、効率的な実力アップに必要不可欠なことです。

古き日本語の地層を掘り下げ、言語的感性に豊かなふくらみを

日本語の淵源をたどり、いまの国語力の確かな足場を提供

古典は、現代語の母体であり、同じく日本語から成っています。従って、何となく、読めたという感覚を抱きやすいものです。しかし、その感覚は、現代語・現代常識に拠ったものであり、膨大な時間を隔てた古典の世界とは大きく異なります。日常的な言語感覚への安易な寄り掛かりは、皆さんを誤読へと誘導する落とし穴となるものです。

I 語学として古典と向き合う

このような状態を脱するためには、知っている日本語として扱うのでなく、別の言語としてつまり、一度、古典を語学として見直し、その手法を用いて向き合う必要があります。文法や語彙の蓄積によって英語を勉強してきたように、古典文法や語彙を皆さんの中に蓄積すればよいのです。英語に比べれば、文法・語彙ともに非常に少ない量でマスターすることが可能です。

II 古典という文学作品を味読する

実は、I ではまだ不十分です。古典の世界では、何がどうであるという読み取った事実が現代と同じ意味を持ちません。それは世界観が異なるためです。例えば、空が白んだり鶏が鳴いたりという事実は夜明けを表すと同時に、恋人との別れの時刻を意味します。このような内容を精読するためには、古典の世界観-古典常識-を手に入れる必要があります。授業では、歴史の流れの中に古典常識を位置づけ、古典作品が生み出された時代背景とともに講義していきます。

文法・語彙・古典常識の三本柱を完成させ、その力を様々な文章に繰り返し運用する。これが、古典における最も効率的かつ正統的な方法です。この方法によって身に付いた読解力は、内容の正確な読解を可能にするのみならず、文学作品としての古典を味読する面白さを実感させてくれるはずです。

使用テキスト:
「読むための理論 ―古文・基本編―」
「読むための理論 ―古文・教養編―」
「読むための理論 ―漢文・基本編―」
「読むための理論 ―漢文・教養編―」

読むための理論ー古文・基本編―

古文・基本編

読むための理論ー古文・教養編―

古文・教養編

読むための理論ー漢文・基本編―

漢文・基本編

読むための理論ー漢文・教養編―

漢文・教養編