古典は、現代語の母体であり、同じく日本語から成っています。従って、何となく、読めたという感覚を抱きやすいものです。しかし、その感覚は、現代語・現代常識に拠ったものであり、膨大な時間を隔てた古典の世界とは大きく異なります。日常的な言語感覚への安易な寄り掛かりは、皆さんを誤読へと誘導する落とし穴となるものです。
I 語学として古典と向き合う
このような状態を脱するためには、知っている日本語として扱うのでなく、別の言語としてつまり、一度、古典を語学として見直し、その手法を用いて向き合う必要があります。文法や語彙の蓄積によって英語を勉強してきたように、古典文法や語彙を皆さんの中に蓄積すればよいのです。英語に比べれば、文法・語彙ともに非常に少ない量でマスターすることが可能です。
II 古典という文学作品を味読する
実は、I ではまだ不十分です。古典の世界では、何がどうであるという読み取った事実が現代と同じ意味を持ちません。それは世界観が異なるためです。例えば、空が白んだり鶏が鳴いたりという事実は夜明けを表すと同時に、恋人との別れの時刻を意味します。このような内容を精読するためには、古典の世界観-古典常識-を手に入れる必要があります。授業では、歴史の流れの中に古典常識を位置づけ、古典作品が生み出された時代背景とともに講義していきます。
文法・語彙・古典常識の三本柱を完成させ、その力を様々な文章に繰り返し運用する。これが、古典における最も効率的かつ正統的な方法です。この方法によって身に付いた読解力は、内容の正確な読解を可能にするのみならず、文学作品としての古典を味読する面白さを実感させてくれるはずです。
学校でやった文法を覚えても、全然読めるようにならないのですが・・・。
おそらく学校では、文法問題(文法に関することをきく問題)のための文法の解説の比重が多いのでしょう。しかし、文法をやることの最大の意義は、未知の文章を文法を手がかりにして意味をとることにあります。古典受験科では、文法事項を、新しい文章を読む為にどう生かすかという視点で、常に授業を行います。併せて、現代語と異なる語彙、現代と異なる古典世界の常識を網羅し、文法、語彙、常識の三つの武器を成します。
使用テキスト:
「読むための理論 ―古文・基本編―」
「読むための理論 ―古文・教養編―」
「読むための理論 ―漢文・基本編―」
「読むための理論 ―漢文・教養編―」